第二次大戦当時、連合軍により捕虜収容所が置かれたカウラ市では、1944年8月5日未明に日本人捕虜の集団脱走事件(カウラブレイクアウト)が発生し、235人の犠牲者(オーストラリア人の収容所衛兵4人を含む)が発生しました。
戦後カウラ市を中心に日本との和解や日豪の戦争犠牲者の慰霊の取り組みが行われてきたことから、カウラ市は戦後の日豪和解を象徴する地と呼ばれており、また市内には南半球で最大と言われる日本庭園があり、特に桜の季節にはたくさんの観光客が来訪します。
1944年に起きたカウラブレイクアウトから80周年を迎え開催された本行事では、たくさんの日豪関係者による慰霊が行われました。一連の行事には両国の学生も多く参加しており、これまでの和解や交流を未来へ繋ぐ大切な役割を果たしていたことは印象的でした。
日本から福岡県知事、県議長を含む訪問団や、上越市副市長を含む訪問団が来訪し、慰霊に参加していました。
クレアシドニー事務所は両自治体の訪問にかかる事前調整やアテンド、アポイントの取得などの活動支援を行いました。日豪間の草の根交流が今後とも継続していくよう、引き続き、支援してまいります。